2021年03月11日

小児科医としての原点へ <くやま小児科だよりNo246/2021/03>

かねてよりお知らせしております通り、このたび私久山登は、くやま小児科医院の院長を後任に託すことになりました。
ご挨拶は別にさせていただくこととして、今回の院内報は最終号として、ここまでの自身の小児科医生活について振り返り、今後についてもお話してみたいと思います。

<小児科医師としての出発>

まず小児科を選んだ理由ですが、いろいろと迷いましたが、幼児教育者の家庭に育った影響もあり進路を決めました。
私が所属した大学では小児神経科を専門としていて、発達症(発達障がい)やてんかんを中心に診療と研究を行なっていました。
初めて私が担当した患者さんはこころの病気を親子とも抱えた発達症の小学生の女の子で、初めは拒否されましたが最後には信頼しあえる仲になりました。医師人生最初の出会いは鮮明で、どうしておられるのかと今になっても思い出すことがあります。
小児神経科の患者さんは生涯にわたるいろいろな問題を持っておられ、この時に私は「治らないで一生付き合ってゆく病気や障がい」、そこに関わる医療とは何なのか、という医師人生を貫く課題を与えられました。


<印西市の開業医として>

1995年1月17日、阪神淡路大震災の日に、印旛郡印西町(当時)原山で開業しました。
印西市を選んだのは、その頃市川市に住んでいて土地勘があったこと、千葉ニュータウン事業で子どもが多く、今後も若い世代が増えると予測できたからです。
開業当初、医院そばの国道464号は片側のみで、千葉ニュータウン中央駅より東側に駅はありませんでした。犬の散歩ではたぬきや雉によく出会いました。今カインズやグッドマンがあるところでは、夜うさぎがダンスしていたんですよ。
そのような状況から街の発展とともに歩ませていただき、お陰様で大過なく26年間、印西市と周辺地域の小児医療に微力ながら携わってくることができました。
患者さんや地域の方々、関係機関の皆さま、支えてくれたスタッフへ、感謝しかありません。


<将来を見据えての継承>

この26年間、印西市は住み良さから日本の少子化にも関わらず小児人口は増え続けてきました。しかしこの間なぜか小児科専門クリニックの新規開業はありませんでした。
私は比較的時間をかける診療スタイルですので、私一人の診療能力を超えてしまい、皆様にご迷惑をかける状況が長く続いて心を痛めていました。
現在も印西市への人口流入は続いていて、小児科への要望は高まる一方と聞いています。
そうした状況と、私自身の年齢もふまえ、この小児科医院をより地域に貢献できる体制にするために、若く優秀な小児科医に継承していただく時期が来たと判断いたしました。

そして幸いにも、こうした思いを共有していただける方に巡り会うことができました。
東京女子医科大学八千代医療センターの小児科医、安部昌宏さんです。
安部さんは私が開業した時とほぼ同じ年齢であり、1世代若返って、今後末長く印西市の小児医療を支えてくださることでしょう。現在当院非常勤医として準備にも当たっていますが、さっそく新しい風を吹き込んでくれていますので、楽しみにしています。
4月からは、私も引き続き当院で勤務医として診療に当たらせていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。


<今後に向けて、小児科医としての思い>

これまで私は地域の仕事にもいろいろと携わってきましたが、そこで学んだことも小児科医として大変大きなことでした。
日々の診療の中ではもちろんのこと、市内の保育園・幼稚園・小学校の嘱託医、市の乳幼児健診や教育委員会の仕事などを担当させていただく中で、多くの発達症(発達障がい)や家庭・集団生活上の問題を抱えたお子さん、その関係者の方々に出会いました。
そして、小児科医としてのスタート地点で感じていた「一生付き合ってゆく病気や障がい」についてのやり残しはこの分野ではないか、との思いが強くなっていきました。これからも勉強を続けていきたいと考えています。

今後管理者を退き、自分1人で日々の診療に追われることから解放されますので、こうした自分自身の原点に立ち返り、心を新たに再スタートを切りたいと思っています。
posted by kuyama at 19:39| くやま小児科だより・ブログ版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする